金澤慎の思ひ出
どうも、ぱっちです。
2019年12月5日、アルディージャの歴史が一つ幕を閉じました。
ユース一期生にして、トップ昇格第一号である金澤慎の引退発表です。
慎が入団した2002年当時のアルディージャといえば、悪く言えば他チームで出場機会がない選手の寄せ集めでした。(川島永嗣や島田裕介ら高卒の選手はいましたが)
そこにユースからの昇格として慎と木村聡が入団してきました。この時は『ユースから昇格してくるんだぁ』と思った程度でした。
ですが、開幕戦のサガン鳥栖戦でスタメン出場。『え、新人スタメンで使うの?新しい外人監督、大胆だなぁ』と思った記憶が。
この年は28試合出場し、1得点とルーキーとしては上々のスタートを切りました。
翌年はわずか7試合出場でしたが、2004年に三浦俊也監督が就任すると開幕からスタメンを守り41試合に出場し、J1昇格へ貢献しました。
この年の最終戦、出場停止で選手サイン会に出ていた慎にサインを貰ったのが初めてプロ選手から貰ったサインでした。
※今みたいに抽選でなく、列に並べば誰でもサインを貰えました(笑)
この頃の慎は豊富な運動量を活かして、前線にバンバン飛び出していくタイプのボランチでした。
J1初年度、背番号も『23』から『7』へと変更となり開幕スタメンを飾るものの、J1の壁にぶつかり徐々に出場機会を失いました。
2006年、ヴェルディへレンタル移籍。当時ヴェルディの監督だったラモスが『最近の若手はおとなし過ぎる。俺に意見を聞きにくるのは金澤くらい』とコメントしていたのみて、『あぁ、慎頑張ってるんだなぁ』と思ったのを覚えています。
ヴェルディで2年過ごして復帰するも、中々スタメンで出場出来ませんでしたが中盤の守備固めとして途中出場していきます。
ただこの年、どの試合だったかは覚えていないのですが、主税らと細かいパスワークでPA内に侵入した時に『緑の遺伝子…』と呟いたのを覚えています。
2009年は開幕からレギュラーとして活躍し、翌年では橋本早十とコンビを組んだことで、現在のイメージに近い守備に強いボランチになって行きます。
2011年は上田康太の加入で出場機会が減りますが、終盤には青木とのコンビが始まります。
2012年の途中からベルデニック監督が就任すると青木とのコンビが確立され、無敗記録を更新します。
この辺りから開幕当初はスタメンではないが、チームが上手く行かなくなると慎がスタメン起用されチーム状況が好転する、所謂『困った時の金澤慎』が定着します。
『この試合!』と言うのは覚えていないのですが、危ないシーンになると慎が体を投げ出してピンチを防いだのを皆さんも覚えているかと思います。
(確か、2012年か2013年のサッカーダイジェストのタックル成功率ランキングでかなり上位にいたはずです)
慎のゴール数は通算で16点(カップ戦含む)ですが、印象的なゴールが多い気がします。もっともインパクトがあったのは2013年のセレッソ戦(A)ではないでしょうか?
試合開始早々にセンターサークル付近から放った超ロングシュート。アルディージャファンのオイラですら、唖然としたゴールでした。
でも、オイラがもっとも記憶に残っているのは2012年ホーム最終戦のジュビロ戦での先制ゴールです。PA左角から右足一閃弧を描いたボールがゴールに吸い込まれました。
『うわ、慎が決めた!』と周囲の方とハイタッチしたものです。
慎のオイラ的ハイライトはやっぱり2017年のさいたまダービーです。
開幕から8試合勝ちなしで迎えたホームでのさいたまダービー。キャプテンのキクが不在だったため、副キャプテンの誰かがキャプテンをやるんだろうなぁと思っていたら、まさかの慎がキャプテンマークを巻いて先頭で入場してくるではありませんか。
アカデミー出身第一号の慎がさいたまダービーでキャプテンマークを巻いているというだけでこみ上げてくるものがありました。
そして試合では興梠を徹底マークし、見事1-0での勝利に貢献。最高の瞬間でした。
2017年11月18日のアウェーでのベガルタ戦を最後に試合出場がなく、オイラも薄々感じてはいましたが、実際に発表されると寂しさが溢れてきました。
今季のコンセプトとして『アルディージャのために闘うことが出来る選手』がありました。これに最もフィットするのは慎だったはずです。2年間武者修行に出たものの、アカデミー出身のパイオニアとしてその背中を後輩に見せ続けてきました。
先日のサンクスパーティーで直接『お疲れ様でした』と伝えることが出来ました。
そこで『来年以降23のユニ買えないね』と伝えると『誰かが着けるんじゃないですか?』と本人は言っていましたが、かつて『15』がしばらく空き番号となっていたように、『23』はしばらく空席となると考えています。クラブが『将来のアルディージャを託したい』と思うアカデミー出身の選手が出てきたときに初めて背負うことになると思います。
今季、昇格を決めて引退の花道を飾ってあげられれば最高だったのですが、それは叶わいませんでした。
再来年クラブ創設から『23』年目を迎えます。『23』年目にあるべき場所に戻れるよう応援していきましょう!